
鷲羽山ハイランドから瀬戸大橋直下に向けて走る。
「ふく仙」を過ぎたあたりで、横断歩道を見かけるでしょう。
ここから左折すると、すぐそこはかつての田之浦・大畠の峠「石の塔(いしのとう)」。

今では、峠の上を、瀬戸大橋から伸びた高速道路が横切る、という、なんとも言いがたい状態ですが、瀬戸大橋着工以前は、集落を結ぶ、メイン道路でありました。
そんな道には…そう、史跡があったりします。
岡山県重要文化財「石の塔延命地蔵」。
地蔵の左脇には「応安元年」(1368)の文字が。
いや、古いでしょ、すごいでしょ、なんてことは、ここでは言いたくない。
わしが言いたいのは、この地蔵こそ、田之浦・大畠に生きる庶民の、「生きた信仰」の証、なのです。

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「生きた信仰」と申しましたが、みなさんの町に
寺・神社・宗教団体の庇護・管理を受けていない、住民自治の祈りの場
は、いくつあるでしょうか。
下津井にはこれが、とても多い。
ちょっとした大師堂(弘法大師を祀ったお堂。下津井は、ほぼ全域が真言宗檀家地区)、えびす天の祠、辻神らしき、小さな祠。
これらは、住民の自治で今日まで生きている、今日で言う、立派な宗教施設。
町なかにごろごろあるこれらは、いずれ触れる、として、その最古版の一つとして、延命地蔵があります。
さて、地蔵は大岩に直接彫られたものですが、かつては、もう少し上にあったそうで。
大正2年(1913)その地蔵を、どうしても動かしたい、一大事業がありました。
下津井軽便鉄道、後の下津井電鉄の着工です。

道路の一段上には、かつての下津井電鉄・鷲羽山駅のホーム跡が残されています。
この石の塔から、鷲羽山頂上を目指すルートは、今や、忘れられた観光路。
延命地蔵参りのついでに、ちょっと覗いてみて下さい。
この駅から、わけあって、運転手ともめた金田一探偵が、電車に追っかけられる。
こんなシーンが、かつて横溝作品のオープニングで、ありました。
おっと、忘れかけてた。
延命地蔵の右脇には、願主の名前があり、その人物がまた、謎の人物。
この人物と
1336 足利尊氏、下津井吹上に入港
の事実。何か、関係があるのでしょうか。
全ては語りません。地蔵の姿も、ここでは見せません。
ちょっと意地悪したくなったから。

ps.丸一日「この地蔵、鎌倉時代」としていたことを、お詫びします。
疲れてたんです。たぶん。
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