
鷲羽山展望台から岬方向を眺めると、二つの、人が住めそうな島があります。
ここは、岡山県に属する島。写真右が松島、左が釜島です。
ここで紹介しなければいけない歴史があります。
藤原純友の乱です。
藤原純友の乱は939年。平将門の乱と同じ年におこり、その事件性が同じと見られるため、セットで天慶の乱、とも呼ばれます。
釜島に純友軍が入ったのは、淀川を使い京都に攻め上ろうとした純友軍が、勢力を拡大する中でのこと。

釜島と鷲羽山の間は、久須美鼻。強烈な潮流が行く手を阻む、海の難所です。
940年2月19日、追捕使が、8千の兵と200の船で、釜島に押し寄せます。
写真でいうと、手前の高くなったところに砦、左側(東)の洲崎には、石を積み上げ櫓を設け、遠浅になる海域には、杭を大量に打ちこんで守る純友軍でしたが、一時は砦も危ないことになったようで。が、隣の松島に布陣した弟・純基が挟み撃ちに追い込むうまい動きをみせて、最終的には。、純友軍の勝利におわった、といいます。
この後、西海の覇者となった純友ですが、部下の裏切りと、追捕使・小野好古との多度津合戦での大敗によって、備讃瀬戸の覇権を失うことになります。
ちなみに、隣の松島の社、住吉神社は、藤原純友を祀る、珍しい神社。
松島で子供が育つと、「下津井小中学校松島分校」に通うことになり、運動会などで、下津井の子と会うのですが、少子化の中、分校の未来は、厳しいものがあるでしょう。
久須美の潮流を使った海戦は、源平六ヵ度の戦、下津井合戦で、再現されます。
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