よって岡山県人は東京向きだ、とかいわれるが、
岡山でも、倉敷市下津井地区と、玉野市日比地区だけは、それに当たらない。
ここだけは、京阪アクセントである。
瀬戸内海航路で、上方と密接につながっていた町であることを、今も方言が伝えている。
そのうち、下津井のそれは、下津井弁と呼ばれる。倉敷市民の間でも、下津井の人は言葉が違う、ということは、かなり認知されている。
すでに紹介した「やさこい」「ずご」は、その代表的なものだ。
現在、下津井弁の伝統は、かなり崩れてしまっているが、少なくとも今40才くらいの人の少年期は、「ぼっけえ」「でえれえ」「おめえ」といった「よその言葉」は、下津井ではタブーであった。
よって、一山超えた児島赤崎・味野にいくと、カルチャーショックを受けた。
「おめー」と呼びかけられて、カッとなった経験が、この世代にはある。
陸の孤島ではないか、と、自らをさげすむことはない、と教えてくれるのは、奥深い郷土の歴史であった。
ここを学ぶことにより、下津井弁が、上方だけでなく、京言葉や讃岐方言ともつながる言葉であることを知る。
交流と対立の海で代を重ねた町の者であることに、思いをはせるだろう。
下津井弁は、消えゆく方言かもしれない。しかし、覚えておいてほしいものだ。
危機に際して、「うわー」と取り乱すことなく、「やさこいわ」といいつつ、冷静に舵をきってほしい。
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