とはいえ、下津井の漁師の歴史は、まさに
苦難の歴史
だったのですが。

下津井の目の前にある、櫃石島(ひついしじま)は、今も香川県。
江戸時代、塩飽諸島のほとんどは他領でした。
下津井沖に、備前岡山藩の島は、数えるほどしかないのです。
備前岡山藩が持つ島は、鷲羽山の岬前の、松島・釜島と、西にある六口島くらいなものでした。
しかも、接している海のほとんどが、天領(幕府直轄領)。
こちらの主張など、「たわけ!」の一言で、一蹴される状態でした。
猫の額のような海で、多くの漁師たちが漁をして暮らしてきました。
生活は苦しく、「三日漁に出なければ、家の物を質に出す」生活だった、といいます。
とはいえ、狭い海で、多くの漁民を支えられるだけ、豊かな海だった、とも、いえますが。
そんな漁師たちですが、貧しい暮らしなりに、神のご加護を得ようと、動いた形跡が見えます。
その代表的なものが、「金奉燈」でしょう。


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写真は田之浦港にある、金奉燈。

「○金」のマークは、金比羅さんのマークです。
生活が苦しく、金比羅参りもままならない漁師たち。
せめて金比羅さんに向けて、灯火を奉げよう、というのが、意図のようです。
そして、この明かりを頼りに航行する、自船の安全をねがったもの、と思われます。

同じような灯台は、大畠にも残っています。
こちらは石造。
苦しい生活の中、信仰だけは人一倍の努力を惜しまなかった漁師たちの、工夫を感じさせるもの、といえるでしょう。
漁師たちの苦しい生活は、明治維新になっても、変わることはありませんでした。
明治維新は、天領と藩領の民の「身分差」を、解消しましたが、変わらない生活困窮に、漁民の不満が爆発したことも。
それはまた、そのうちに、ということで。
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