中津城の北から、城下町に入る。
相変わらず、からあげ屋を見つけたら、飛び込んでいる。
この日一日で、1kgくらい食ったような気がする。
お城で入場券を買うと、福沢諭吉の記念館(旧居)のチケットセットを勧められる。
ここに入ると、なぜ中津で福沢諭吉なのか、これでもかというくらい教えてくれるので、行くといい。
旧居前の路地から、城下町に入る。
こういう町の区画の説明文と、地元文化人の説明文がそこら中にあるのが中津。
これをたどるように歩く。
目指すのは、寺町の端の方にある。
ここ。
合元寺(ごうがんじ)。通称「赤壁寺」と呼ばれている。
宇都宮鎮房の中津城暗殺劇は、これをもって一気に宇都宮勢力の地侍をも一掃しよう、という、苛烈なものだった。
宇都宮家臣団は城下に集められていたのだ。
合元寺に集結したが、ここに集結すること自体、すでに黒田の読みの内、だったようだ。
宇都宮家臣団200人ことごとくが斬り合いの末、命を落とした。
この寺は元々、寺町の他の寺と同じく、白壁だったらしいが、この時の斬り合いの血しぶきが、ぬぐってもぬぐっても、白壁から浮いてくるらしい。
だから赤壁にしているのだ、という。
このときおそらく、勝間田重晴の首級を持ち帰ったとされる新貝荒五郎英之とかいう傾奇者丸出しの名前の荒くれ侍も、討ち取られたのであろう。
ちなみに勝間田重晴、最期は精魂尽き果てて、勝間田越えで座り込んでいたところを二人に見つかり、命が欲しければ手柄にすればいい、と言ったそうだ。
二人は逃がしてやってもいいかな…と思っていたけど、そこに新貝荒五郎とかいう荒くれ上司が来たので、これはもう仕方ない、と、もはや斬れない野刀と、六尺棒で、撲殺。
新貝荒五郎はそれを首級にして、手柄にしたのだ、という。
うん、すがすがしいほどの悪党だなw
ちなみに勝間田越え近辺では、椿の六尺棒が家から無くなる怪異が相次ぎ、勝間田重晴の怨霊を感じて、祠を立ててみたが、全く効果がないので、やめてしまったらしい。
わしに怨霊がついてきたら、とりあえず最後は下津井の景色が見れるので、がっつり、ついて来そうな感じがあるな…。
この「赤」は、中津では、公園べりとかの手すりにみられるので、合元寺を見なくても、よく目に入る。
それが、宇都宮鎮房への敬意なのか、九州の「くんち」にみられる、中国文化の影響なのか、わしはよく知らない。
勢いあまって、この夜、ホテルのレストランでも、中津からあげを注文した。
ビールとともに、一気に食った。
明日はからあげパワーで山道に向かうぞっ。
- 関連記事
-
- 初代下津井城主の最期を見る1
- 中津をうろつく2
- 中津をうろつく1
スポンサーサイト
にほんブログ村